そもそも30歳前半には体重が90kgあり、酒は飲むはタバコは吸うは運動はしない、で40歳頃には入院やむなし、生命保険も今のうちに増額しとこう、という状況。
ところが88年1月に飲み会でデブ3人が誰が一番スマートか?という話題になり、それなら1ヶ月半で誰が一番スマートになるか勝負をしようということになり、勝負には負けたものの瞬間的に15kgダウン。そのときの教訓が「この体形を維持しよう」その為には今のサイズの服を多数揃えよう、運動(ジム通い)を続けようと決意する。
その後、数年(ジム通い、エアロビクス・エアロバイク)たち93年新潟に転勤になり住まいは信濃川の近くで環境が抜群の為94年試しに走ってみると3回目に10kmを走破し感激。なにを隠そう生まれてからの最長距離、我家は全員走るのが苦手、特に長距離は常に後方待機。よってマラソンなんて別世界のもの、トライアスロンになると宇宙人のする競技だと思っていた。
しかし「ひょっとしてホノルルマラソンならなんとかなるか?30代最後だし一丁チャレンジしてみるか」ということで初レースが94年10月新潟マラソンハーフ、そこでは1時間57分だったが、人を抜く快感を得て以後やみつきになる。
12月ホノルル本番苦しみながらも5時間1分、最初で最後のフルマラソンと思っていたが(事実2回目のフルまで2年かかる)その時に友達も多数でき、長年の怨念(走ることの劣等感)を晴らしたことによりハマッテ行く。
97年大阪に転勤になり、走るのに飽きてきたし、社内orジム内でランナーと呼ばれることへの嫌悪感(ランナーにすれば肉が付き過ぎ、そんなにガリガリではないぞ!)から嘗て宇宙人がするものだと思っていたトライアスロンへの憧れが日に日に強くなっていくが、いかんせん25mしか泳げない。
とはいうものの毎日プールに入っているうちに息継ぎは息を吐くということに気づきだす。曲りなりにも300m泳げたのと同時に98年7月5日のグリーンピア三木、トライアスロン初心者体験コースに出場し現在に至る。